僕は花まるメソッドは嫌なんです。

今日は僕の主観的な教育論の話がメイン&長文なので、興味のない方はとばしてください。

 

ちょっと前にこんなブログを書いたんだけど、

 

僕は武雄を脱出することを考えている。 - 武雄特殊市民物語 http://pochipochi1111.hatenablog.com/entry/2014/04/18/134705

 

実はけっこう切実にいろんなことを考えているわけです。

僕は今武雄市民で持ち家もある。職場も武雄市内にあって、たぶんずっとそこで働くつもりでいるので、市外に出るとなると住居を移すということになるんですね。で、当初花まる対策として一時避難的に市外で借家で暮らそうかと考えていましたが、現市政が長く続くようなら(つまり市民が現市政万歳の人ばかりになれば、僕は武雄に住む理由がいよいよなくなるので)いっそ家ごと市外に出ようかとも思ったり。家を建て直すとか、そう簡単にできることではないので、大変に悩んでいます。

 

という事実を踏まえながら、どうして花まるがそんなに嫌なのか、自分でも再度考えてみました。と言うのも、僕も結構沸点低いんで、市長が発表すること=悪と考えてしまうところもあって(あながちその直感?は間違いではないと自分では思っているんだけど)、なので、少し冷静に考えてみようと思います。

 

話はとびますが、最近NHK武雄市の教育への取り組みが取り上げられていて、同僚にも見た人がいて話題にのぼったんだけど、教育監どのが言うには「これからは学び合いの場が大事、児童生徒同士が教え合い学び合っていくのが理想」「現場の教師は教えたいという気持ちがあるのだが、それはいらない」ですと。

確かに、教育監どのの理想は「勉強したい子にどんどん学びの場をあたえて伸ばしてあげたい」なんですよ。それは間違いではないところもあると思うんですね。

ただ、それでは「底上げ」はできないです。上をつり上げると格差が広がるんじゃないかと僕は思っているし、前述の同僚たちも同じ意見でしたし、僕の友人の現場教員も同じ意見だったので、少なくとも数人は同じことを憂いている人間がいるということです。そして、この友人がちゃんと教育学部で勉強し教員免許を持って現場で働いていることを考えると、友人が言うことは現実で、教育監どのが言うことは理想論とか机上の空論ではないかと思うわけです。

また今回同僚と話していて初めて知ったのが、「学び合い」はすでに試みている学校があって、同僚の子供が通う学校で行われているということでした。そして、成績のいい子とよくない子は確実に差別化されている、というのは予想できる範疇でしたが、「成績のいい子はよくない子に教えるために時間を割かねばならず、結果的に自分のしたい勉強ができない」という不満を持っているのだそう。これじゃ上も伸びないじゃん。

学び合い、と言うと、さもよい響きのようですが、実際は教師の仕事を成績のよい児童生徒にやらせている、ということなんですね。子供たちに勉強を教えたいという教師のモチベーションはマスターベーションだということでしょうか。

そして、じゃあ教師は何をする人ぞ、ということになり、そういう人なら教員免許とか教育学を勉強していない人でも教師が勤まってしまう→じゃあ塾講師でも勤まるんじゃないか、という話になるんでしょうかね。

 

で、実際花まるの話ですが、あの授業風景を見て嫌悪感を覚えた、というのが僕の直感です。幸い、今のところ僕の子供は学校とか勉強が楽しいみたいだし(逆に「そんなに現行教育に親和性が高くていいのか?」と僕が心配するくらい)、学校の先生方にもとても恵まれていて、今のところ不満はない。このまま順調に育ってくれれば、たぶんメシが食える大人にはなれそう(てかメシが食えない大人ってどういうこと?地味に生活保護をdisっているとしか思えないけどね)だしね。それで、あえて花まるをこれからやっていく意義を全く感じない。逆に混乱するデメリットが大きいと思うし、それは転校するデメリットよりも大きいと思う。

もう1つ、花まるからは子供を伸びやかに育てるという理念を感じます。それは結構なことです。でもそれは、やるなら就学前までかな、と僕は思う。社会の一員として生きていく中で、人を思いやる気持ちを育むためには、規律正しく静かに過ごせる時間を共有できる力も必要になる。動と静のメリハリを学ぶには花まる式では無理なのでは、と思います。

あとは、僕自身が花まる万歳の親御さんとは仲良くできなさそう、というのもあるけどね。

 

で、結局武雄市は何をしたいのか、よくわかんないんですよね。

タブレット」「反転授業」「花まる」。。。まとまんないと思うけど。

てか、タブレットも反転授業もまだ始まってないみたいなんですけど(5/10時点)、どうなるんすかね?

花まるも来春からやるって言うから、たぶん興味あって武雄に引っ越したい家族は今から来年4月の転校・転居・転職をお考えだと思うんですが、4月になっても始まりません、なんてことになったらとんだ裏切りだと思いますが、武雄市はその辺なんか保障とかするんすかねぇ。

GWも大にぎわい。

有田陶器市も124万人の人出で賑わったようですが、武雄市佐賀県も話題に事欠きませんでしたね。

ちょっと遅いくらいの触れ方だけど、武雄市図書館の除籍問題。

http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/24/takeoshi_n_5203682.html

僕なんかは図書館のことについては本当に地元にいながら疎いほうなので、除籍のことがここまで問題になるとは想像してなかったんですよ。

特にハフポの反響は大きくて、これを見た市外や遠方の友人から「武雄市大丈夫なの?」と心配される始末。なんも言えねぇ。

僕も現市政に疑問を感じている人間なので、何が問題なのかということを自分なりに考えたりするわけで、「図書館が有名になって武雄が有名になって万歳!」って人々よりは多少の知識はあると思っているけど、除籍問題をあまりつぶやかなかったのは、図書館に疎いことのほかに、すでに自分が「武雄市政ってこんなもん」というのに甘んじているからかもしれないですね。フツーの市に暮らすフツーの人々なら「郷土資料除籍とかどうよ!」って考えることを考えられなくなっているのかもしれない、と思うと、武雄に住むことで驚愕の閾値が下げられているということかもしれません。

 

それと後半では、佐賀県の県立高校タブレットのお話。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140503-00000001-asahi-sci

こっちのほうが、僕にとってはまだ身近な問題でもありました。僕の子供も数年でたどり着くところだもんね。

これもネット上では賛否両論あるようで。

ITに強い人々は、そろって「ありえないミス」だとの指摘がありますね。

設計が悪くちゃ「運用で回避」にも、限度があるんです! - Soukaku's HENA-CHOKO Blog http://www.downtown.jp/~soukaku/archives/2014/0502_233251.html 

僕もITにはまったく強くないので、「プロキシが〜」とか「マザーが〜」とか言われると?????とついて行けなくなるのですが、そんな僕でもわかるのは、ダウンロードのスピードはファイルの大きさと回線(表現合ってますかね)の太さ(=速度?)による、ということ。

……と言うか、そもそも僕はこの意見に賛成です。

授業時間削って、生徒自らがインストール、だと… - Soukaku's HENA-CHOKO Blog http://www.downtown.jp/~soukaku/archives/2014/0504_170507.html 

最初からインストールしとけばよかったのに。それか宿題にして「○日までにやっとけ」とかさ。インストールを学ぶことも授業のうちと言うんなら、自学自習たい。家ではネットにつなげない設定なら、放課後とか、朝早くとか、学校開放して生徒に各自やらせればよかったんじゃないの?

どっちにしても、教職員と生徒には多大な負担になるわけだね。

そして賛成派の話はこの辺りですかね。

http://newspicks.com/w/news/424411

いくつか抜粋してみましょうか。

「うまくいかないことがわかった!これは貴重なサンプルだ」そうです、佐賀県くらいの自治体ではこの程度のIT人しかいないということがわかりました。

「他県に先駆けてどんどん挑戦して、どんどん失敗すればいいと思う」そのためのお金はどこから捻出されるのでしょうかね。

「失敗は、挑戦した者だけが唯一できる経験だ」この方にはその下で出ているコメントを送ります。「無責任。これが入試や手術なら謝ってもすまない」

 

佐賀県にしろ武雄市にしろ、「新しいことをどんどんやれ、失敗してもすぐ取り返せる」と、首長もその取り巻きも言ってるようだけど、例えばこれが原発再稼働だったり、ミサイルなんかの武力兵器だったりしても、同じこと言うんですかね?

世の中には、慎重にやらなくてはいけないことがあるわけですよ。

それとも、自治体に慎重さを求める僕は、時代遅れなんですかね。

僕は武雄を脱出することを考えている。

昨日の記者会見は、武雄市の名前を一躍全国区にしたね。

いい意味でか悪い意味でかはわかんないけど、樋渡氏が就任当初に語っていた「武雄を有名にしたい」という願いは着々と叶えられているわけだ。

 

今回は「花まる学習会」の授業を全面的に学校に取り入れる、塾講師が教師にアドバイスをする、児童は全国から募集(移住要)、武内小で夏ごろから先行導入する、ということですね。

 

僕には小学校低学年の子供がいる。今のところは五人並みに育ってくれていると思っている。僕は今の、地域の特性を生かした小学校教育を気に入っている。

しかしなんですか、「花まる学習会」。動画もありましたね。好き好きだとは思うけど(だから16000人の子供が学んでいるんだろうけど)、僕は自分の子供にこの教育はいらないと思った。何て言うんだろうか、カルトみたいとか言われるのももちろんなんだけど、メリハリがない。「静」と「動」の両方を子供には身につけて欲しいんだけど、「動」しかない。これは僕の子供に対する思いというか、自分が子供時代に足りなかったことを押し付けているだけなのかもしれないけど、「常に人の前に出ようとするな」ということを知って欲しいと思っているんですよ。いざというときに出られればいいんです、いつもいつも目立たなくていい、と。そういうのが思いやりの心を育む一歩かなと思っているわけで。ここの動画を見ていると、出たがるという子供の特性はとても伸びて行くと思うけど、奥ゆかしさは忘れられそうな気がする。

ま、このあたりは僕の個人的な教育論なので、あまり気にしないでください。

 

で、僕が今回一番問題だと思ったのは、地元でこれが嫌だと思った子供や親はどうするのか?ってこと。やってくるのは好きで来るんだからいいじゃないですか。でももともと武雄(武内)に住んでいて、でもこれは嫌だと思う家庭にある選択肢は「越境通学」か「移住」だよね。何人くらいそう深刻に考えている家庭があるかわからないけど、公共の福祉を担うべき自治体が、民間の塾を学校に入れようとせんがために、数人かもしれないが住民にそういった負担をかけるのはどうなんでしょうかね。

僕は、子供の学校に花まるが導入されたら、武雄を出るつもり。越境通学もできないわけじゃないけど、特殊市民であることがわかってしまうとあとがどうなるか心配なので、影響が及ばないように武雄を出ようと思っている。

ほかにも、学校の先生方のこととか、いろいろ問題になるんじゃないかと思うことはたくさんあるけど、長くなったので今回はこれでやめ。

 

さて、昨日の記者会見で新しい小学校の名前を「武雄花まる学園〇〇小」にすると言っていたけど、「花まる学園」で検索すると今はこうなるらしいです。

武雄の小児救急の話最終章。

昨日upしたばかりのブログからもいろんな感想が聞けて、書いたかいがあったと思っているが、一方で自分の思いと違う話も一人歩きし出した。まぁこれは仕方のないことだと思っているが、そのうち市長から反論も出てきそうだし、「どうして自分が住んでいる武雄市のことを悪く言うの!?」とか言われそうだから、今のうちに話を再度整理してこの章は終わりにしようと思う。

「武雄に小児救急を診ることができる病院・診療所がない」ってのは半分間違いです。これは最初のところでも書いたけど、医師会の急患センターが診てくれます。夜間は21時まで対応、日曜祝日ははっきりわからないんだけど、担当の先生によると思う。ただの風邪とか、簡単な内科的なことは診てくれるんじゃないかな。けがしたとかなると他所に紹介されるみたいで、先に電話をすると嬉野医療センターを紹介してくれた、という話を聞いたことがある。それでも夜間は、やっぱり対応できてないんじゃないかと思う。

本件で僕が言っているのは、民間移譲大成功!と謳っている中で、恩恵にあずかれなかった「子供たち」がいる、ということ。繰り返し言うけど、池友会が15歳以下お断りなのがいけないとかは思ってません。民間企業はより大きな黒字を求めるものでしょう?それに、新武雄病院になって、ここでしかできない医療を受ける人もいて、その人たちは非常に助かっているんだと思う。一方で市外に行かないと適切な医療を受けられない子供たちもいるってこと。ま、嬉野医療センターは隣町だし市の中心部から車で20分も走ればつくので、不便だなぁと思うことはあっても困ったと思う人はそう多くないのかもしれないけどね。佐賀は狭くて便利ですよ。

 

さて、最後の最後。1つリンクを貼っておきます。

http://www.city.takeo.lg.jp/goiken/kaitou/20090901.html

これは病児・病後児保育の質問に対する回答でもう5年も前の話だけど、回答にある「ご要望されている平日の夜間診療を行うセンター等の設置については、小児科医の不足等により具体的な計画の立案には至っていません」という一文が「やる気ないです」と読めてしまう僕です。

民間移譲はしたけど、やっぱり小児の夜間救急は市としては手つかずどころか、可能性はさらに低くなって、市外に依存する状態なんだね。不採算部門を切り捨てて「民間移譲して税金が入ってきて市の財政に貢献している」って言っちゃうのも、なんだか、ね。

 

話の流れにもよるけど、いちおう僕の小児救急の話はこれでおしまい。ほかにいろいろ聞きたい方はツイッター@pochipochi1111までどうぞ。

小児科救急の話のつづきin武雄。

前回のブログには思いのほかたくさんのアクセスをいただいてびっくりした。

小児診療(と産科診療)のことは、きっとどこの自治体も頭を悩ませる問題だろう。ツイッター上でしか見えていないが、自分が思いもよらなかった議論が交わされ、なんだか嬉しくなった。

小児診療ってのは、産科とも違ってほとんどが保険診療だし、いわゆる「ウハクリ」ってのは少ないんじゃないかと僕は思っている。ここんとこは僕の想像と伝聞の範囲を超えないんだけど、儲けたい医者が選ぶ科ってのはいくつかあって、小児科は入ってないらしいんだな。そして小児救急ともなれば、単体では赤字になることもあるんじゃないかと思っている。だから担い手が減って運営できなくなって、不採算部門になって、だけど市民はないと困る、っていう状況なんだろうな。

だから、そういう部門は民間では請け負えなくて、結果的に公的機関がかぶる形になる、というか、公的機関がかぶんないと誰がやるんだって話。

で、武雄市はどうなのよ?ということなんだけど、民営化したからそりゃ小児診療は請け負えなくて当たり前なんじゃないでしょうかね。たぶん市民は、いや市の関係者だって、新武雄病院が小児救急を受けないことになった、なんてことは、移譲の問題が出た当時は誰も想像しなかったんじゃないでしょうか?現に今、市民の中にも「新武雄病院が子供を診ない」ということを知らない人が多いようですし。

民間移譲そのものの善し悪しは、武雄では今さら論じても意味がないと思うんだけど、4年たった結果こういうことも起きるということがわかったので、これから移譲を考えている自治体はそこまで想像をめぐらして次善策を練ってくださいませ。(逆に言えば移譲問題が持ち上がったときにそのへんどのくらい議論されたのだろうかと思うと歯がゆいですけどね)

と、こういうことを書くとよく「対案を出せ」と言うのもウチのお偉いさんの口癖なんで、彼を見習って思いつきでいろいろ書いてみるに、「予算やるから小児救急も診ろって新武雄病院に言う」とか「嬉野医療センターにおんぶに抱っこになってるから、これからもお願いしますって頭下げて、なおかつそれに見合う見返りをなんか(僕は思いつかないけど)差し出す」とか。嬉野医療センターにはそのくらいしてもいいと思うんですよ。かわいい武雄市の子供たちがお世話になってるんですから。

やっぱり僕のつたない頭ではこのくらいしか思いつきません。

あ、あと「診療報酬を大幅に引き上げる」っていう手もあるけど、厚労省を動かすのはいくら何でもね。

そうそう、知人の子供が今年めでたく新武雄病院に入職しましてね。何がともあれ就職が決まったのはよかった、とお祝いを言ったんだけど、入職時の訓示で「当院は武雄市民からは嫌われていますから」と言われたそうで、本人も驚いていた。前途洋々たる未来を持つはずの新人への訓示がこれとは、何とも不憫。

遺恨を残すような強引な民間移譲のツケは、実は新武雄病院自体にとってもまだまだ尾を引きそうだ。

武雄の小児救急医療は今。

まったく、僕はどうしてタイムリーにブログを更新できないのか、と思うのだが、今回はツイッターでめずらしく市長からメンションをもらったので、書いてみた。

僕の過去のツイートを見てもらうとときどき病院関連のことをつぶやいているのですでにお察しかもしれないが、僕は医療関係者の端くれである。だからそうじゃない人に比べると多少は内部に踏み込んだ話がわかる。また、いち武雄市民でもあるので、同時に市民の声の1つを発信しているということにもなる。

 

ところでツイッターでもすでに先日投稿したのであるが、今武雄市には小児救急を担当する病院がない。通常の小児科は市内に開業医が点在しているが、救急は担っていない。唯一時間外の小児救急を診てくれるのが、医師会の休日急患センターである。ここは平日夜間は21時まで小児救急(重症以外)を診療してくれる。担当の先生は市内外から非常勤で来るのだが、このうち半分弱は嬉野医療センターからの応援でまかなわれている。

さて、武雄市で病院と言えば市民病院が民間移譲され新武雄病院になったことが有名である。新武雄病院のスタンスの1つに「救急車を断らない」というのがある。この恩恵を受けた人も少なくないだろう。僕は救急ではないが、新武雄病院にお世話になったこともある。当たり障りのない病気だったので民間移譲していたからよかったということもなければ、悪かったと思うこともなかった。

ただ、僕の親戚の子供(武雄市内在住)は民間移譲されて困った一人である。

その子は喘息持ちで、今はあまり発作は出ないそうだが、小さいころは家での簡易吸入でおさまらないことが年に1、2回あり、そういう時は救急病院での治療が必要になるわけだ。新武雄病院に民間移譲したすぐのころだったか、ある夜発作で病院に駆け込み診療してもらったことがあったそうだ。それから数ヶ月の後にまた同じようになり再度駆け込んだのだが、なぜかこの2回目のときは「子供は診ませんので」と受付で突っぱねられたらしい。結果的には知り合いの看護師さんに遭遇できて診療を頼むことができたらしいが(今思えばこの時期は過渡期だったのかもしれない)、それからは新武雄病院には行けなくなり、休日急患センターか嬉野医療センターを利用しているということだった。

また近所の友人の子供は、日曜日に額がぱっくり割れるけがをしたのであちこちの病院に電話をし、嬉野医療センターで診てもらったと言っていた。

 

ツイッターでも書いたが、池友会グループ全体が「子供お断り」になっているようだ(これは実際にいくつかのグループ病院で確認した)。インフルエンザの予防接種も子供はしてもらえないことになっている。

小児科は産科とならんで訴訟リスクの高い診療科であり、診療報酬もかかる人件費を考えると決して高くはない。いわんや小児救急においてをや。よっぽど上手にやらないと赤字になる不採算部門なのだろう。担当する医師の不足もあるだろうし、民間病院なら切り捨てる理由としては十分だろうと思う。

市民病院には小児科がなかった。でも小児診療はやっていた。小児科でない、内科や外科の先生が診てくれていた。専門医じゃない不安もあるだろうが、医師も「自分の診療可能な範疇を越えていれば他医に紹介、相談する」というトレーニングは皆受けているので、適切な診療は提供されていたはずだ。もしそうでなければたくさんの訴訟が起きていたかもしれないし、そうでなくても「市民病院に行けばまずい小児診療を施される」と噂が立てば、子供が受診すること自体を市民がためらっただろう。

 

新武雄病院ができてよかったこともたくさんあるだろう。だけどこういう負の一面もあるということ。ことさらに主張する気はないけど、そういう一市民の声も、「悪いところはどんどん見直す」市長様なら吸い上げて欲しいと思うのはおかしいだろうか。まぁ、僕は特殊市民で一般市民ではないので放置されるだろうけどね。

 

そうそう、仕事仲間が昨年末の新武雄病院の忘年会に出席した際、院長があいさつで「お隣の嬉野市に近々巨大な病院ができるんですよ、ウチにとっては打撃です、市長なんとかしてもらえませんかね」と言ったそうだ。そう言えば嬉野医療センターが2018年をめどに新築移転するんだった。

武雄の小児救急はこれだけ嬉野医療センターに依存しているのにね。

 

選挙雑感。

僕のブログを読む人に知らぬ人はいないだろうが、昨日は武雄市長および武雄市議会議員選挙があった。結果はご存知の通り。

こういうときはどうしても負けた方が言い訳が多くなるが、事実樋渡氏を支持する人間が20,422人いたということだ。積極的に選んだ人、消去法で選んだ人、いろんな人がいるだろうが2万人超が選んだということだ。

そしてここからが僕が心配することだが、対立候補に投票した5600人と無効票を投じた1100人(これはかなり多い数字だと思うのだが今は触れないでおこう)=6700人の意志がどうなるかと言うことだ。

以前ツイッターでもつぶやいたが、例えばお隣の多久市。昨年9月に市長選が行われ、現職が僅差で勝った。その後市長は、得票率の少なかった地域を重視しているという話を聞いた。そこまであからさまにしなくてもいいとも思うが、反対住民の声を聞く姿勢が伝わってくるというのは、人間的な面は評価(人並み?)できるのではないかと思う。

 

では武雄市ではどうだろうか?

 

おそらく全く逆のことが起きるのではないだろうか。

樋渡氏が自分に反対する人間にどういうことをするのかはよく知られている。

https://sites.google.com/site/takeoproblem/0-tong-du-qi-youtoiu-ren-wu/05-dong-henado

ここに書いてあることはネット上で起きたことが多いが、現実にもたくさん起きている。その最たるものが市政報告会と称して行われていた各公民館などで市長を囲む会である。反対するものを名指しで糾弾する、というのが会の目的なんじゃないかと思うくらいそれは辛辣なもので、良識ある人であれば「聞くに耐えない」。

話を戻すが、では6700人の意志はどうなるか?結論から言うとなかったことにされる。樋渡氏に投票した2万人の意志が武雄のすべてということにされるだろう。本来の民主主義ならば6700人の意志も尊重されるべきであろうが、武雄ではそれは通らない。そもそも樋渡氏に「6700人の意志を問うて噛み砕き説得する」ことの意味は理解できていないだろうし、必要のないことと思っているだろうし、その能力もないと僕は思っている。

 

しかし逆に考えれば、樋渡氏に賛同さえしていれば、今は安泰だ。

この先どうなるかはわからない。武雄市という小さな井戸の中に、果たしていつまでそのままでいられるのだろうか。民意がその結果に気づくまで、10年20年はかかるのではないだろうか。

 

それから、僕は今のところ武雄市から出るつもりはない。自分の成すべきことを成しながら、しばらくはこのまま静かに成り行きを見守って行こうと考えている。

これから僕に直接影響が来そうなのは反転授業とタブレット。僕は、小学校の教育は親にも大きな責任があると考えているので、こういう変化があろうがなかろうが僕自身の子供の教育に対するポリシーは変えないでやるつもりだ。結局は反転授業をしようがタブレットを入れようが、大差はないと思っている。騒ぎ立てられているほどの変化は期待していない。

 

こういうことは選挙前にブログに上げるべきだっただろう。今は情報発信能力が評価される時代である。情報の真偽にはかなりの問題があるが、その点では樋渡氏はかなり強い。僕はこういうのはあまり得意ではないので、なかなかタイムリーにはものを書けない。

それでもたまにはまた書いていってみようとは思っている。

こんな武雄市民もいるということを知ってくだされば幸いである。